その四三






 






 









 

泣きすぎて 笑いたくなる shalalaのメロディ

夜が明けてゆくまでわたしは
すこしだけ微熱のまま
<蟻>の写真の頭とお尻ばかりを見ていた。

撮影時は10年ぐらい前のものと記されている。
そのころ愛読していた月刊誌の付録についていたものを
なぜか、捨てられずにおいてあったのだ。

ずっと見ていると生きているのか死んでいるのか
わからなくなるぐらいところどころがにせものっぽい。
でもたとえばこれがよくできた作り物だとしても
本物の蟻の列に紛れさせたら愉しそうな気持を運んできそうなぐらい
それにはちょっとした愛嬌があった。

そのころの蟻がここにいて。
まだ死なない蟻がここにいて。
この写真をわたしが持ち続ける限り
この蟻はおそらくここに閉じ込められたままなのだろう。

あのころのわたしがあの場所にいて。
生きているわたしがここにいて。
あのころまだ出会ったことなかったいろんな人もいろんな時間を生きて
生きているあなたが今日もどこかの空の下にいて。

そんなあたりまえのことの輪郭が、いま
何故かくっきりと、不思議になる。

そして偶然に開いたまだ読んでいなかったページで
わたしはふたたび蟻と出会った。

あなたのなかのちいさなちいさなほんとうの部分という質量を
<蟻の涙ほど>という表現に託したことばが

あって。 引用が許されるならわたしはその<蟻の涙>に立ち止まったのだ。

そしてもういちどあの写真の蟻に目を止めた。

ほんものの蟻なら想像はつかないけれど
このフェイクの蟻なら、絵になりそうだった。
涙を流している蟻がここにいると、思うだけで
かなしいようなおかしいような降って湧いてきたような
感情につつまれた。

その写真の被写体は
涙のひとつも流せるかもしれないけれど
いざとなったらお尻からでも歩いていけそうなぐらい
おかしみを持っていた。

決してあかるい色に彩られてはいない
「新東京絵葉書」と題されたその写真は
わたしの背中をくしゃくしゃぽんっと押したのだ。

そしてあまりに単純なわたしはそわそわと
真夜中にお腹が正しく空いてきた。

童話みたいに、昔の蟻にたいそう励まされた夏の夜でした。
とは、
胸はって大きな声では言えないけれど
それはわたしのちいさなちいさな<蟻の涙ほどの>
ほんとうのことだから
あなたにはそのことを信じて欲しくなったのです。

他愛ない闇のなかで見た蟻が運んできてくれた<げんき>を
せんえつですが、
おしみなくあなたにも
届けてみたくなりました。

       
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