その四四






 





 









 

いっぴきの かなぶんるると 翅を光らせ

まず隅を四隅を責めないとぜったい
勝てないからね、と
百万回ぐらいは聞かされたことばで
わたしは送りだされた。

どちらかというと応援にまわりたかったのに
わたしはどうやらオセロゲームに参加してしまったらしい。

四隅というポイントははわたしにとっては遥かに遠い。

このまんなかの地点からあの場所へ
辿り着くのは容易でないことだけは確かなのに、
でもわたしは、しらないおじさんと向かいあっていた。

宿泊客であるわたしを前にしておじさんは
轟くように笑うのだ。

つよいひとは笑い声がでかい、そしてなぜか
くしゃみもひたすらばかでかい。

手加減はしますよお客さんですからと
おじさんは
云った。

その台詞がなぜだかわたしに火をつけた。

その日は熱帯夜でだれもが眠り損なっていたから
軽く遊びましょうという
はこびになったのだと思う。
わたしはとにかく四隅を目指した。
目的のためには手段は選ばないといった感じで
たえず気持をそこに飛ばしていた。

そして四隅とはいわずともわたしは
二隅だけはなんとかじぶんのものにした。

気を緩ませないように
美空ひばりの柔の歌を頭の中で口ずさみながら
ゲームに夢中になった。

こころを引き締めていたはずなのに
技術のなさなのかわたしの形勢は
どんどん不利になっていった。

そのとき、
じぶんがしろなのかくろなのか
もうどっちだったか忘れてしまったけど
やがてその盤上はいちめんがおじさんの色に
染まっていった。

確保していたはずの二隅までもおじさん色に
またたくまにぬりかえられて、 気がつくと
わたしはその様子をどこかの
ドミノ倒しのように傍観していた。

それはあまりにもおじさんの圧勝だったので
わたしはくやしさが消え失せてしまったかのように
おじさんを見上げた。

そしてわたしはあざやかに負けるということを
そのときちょっと知ったのだ。

負けん気がつよいなんてことぐらいでは
歯が立たないこともあることももうひとつ知った。

潔く負けるということは、
なにか塵のようなものを洗い流してくれる。
ふるいこころと新しいこころを
すっかり交換してもらったような気持になったことを
憶えてる。

そんなことがあったのも何年か前の夏だった。

はじめは懸命に追い掛けるのに
いつのまにか気がつくと追いこされて
軽やかに負かされた気持がしてくる夏。

あの夏のおじさんと今年の夏の気分は
どこか似ている。

かなぶんがちからの限り窓ガラスにぶつかってゆく。
その羽音がなにかのスイッチみたいに、
わたしはすこしむかしの夏を新しい記憶のように
思い出していた。

       
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