その四六






 







 












 

少年の 淡いうそだけ ゆらゆらゆらと

もうすぐ閉館になるらしいという
水族館まで江ノ電に乗ってでかけた。

わたしの好きなギターのデュオのおひとりが
ぼくの師匠は「くらげ」です。
といつかおっしゃっていたので、ずっと気になっていた。

いくつもの水槽の部屋に棲んでいる彼らは
どこまでも透きとおりながら、
ぜんぶさらけだして、浮かんでいる。

師匠たちは水槽の底にぶつかると
そこが行き止まりかとさらさらと観念して、
しぜんに上昇する。

それはためらいもなくただなすがままなのだけれど
たまに確固たる意志をもって<泳いでいる>風情の
海月もいたりして。
ずっと眺めていると水槽の外にいることが
ものたりなくなるぐらい不思議な空間はかなり心地いい。

垂直運動が好みの師匠や、ずんずんななめ方向の好きな師匠。

そしてもしじぶんが彼らとおなじ仲間だったらと
夢想したあとで、
たとえば好きなひとが「化身」のように
「海月」に変身してしまったら
どうするだろうと設定を変えてみた。

みんなおそろしくよく似ている。
だけどあの漂い方のくせはあの人に違いないっていうのが
きっとわかる気がするから、
わたしは毎日でもどこかの海に会いに行くでしょう。

ときおり好きな人の機嫌がわるいときは
痺れるまで刺されては
その傷跡をなにかの証しのように大切にするかもしれません。

と、ねぼけた絵を描いたところでわたしはぱたっと
考えが静止してしまった。

<師匠はまえぶれもなく溶けてしまうんですよ>

という話を思いだしたからだ。

海のどこかでなにごともなかったかのように
透明なからだを溶かして臨終を迎えるらしいのだ。

ひとというかたちをしていてもいつも
どことなく理不尽な輪郭にちかいのに
海月になってからも甘美な死をまっとうするなんて
軽くいなされたような気分だ。

だとしたらわたしもはやばやと
海月に姿を変えいつかあなたよりも
先に溶けてしまいますぜ、とわたしはでたらめな問いに
すこしばかり正面きって啖呵を切りたくなった。
そんな形にならない思いが
あふれそうにもやもやとわたしのまわりを漂っていた。

       
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