その五十四






 







 









 

はじまりの しあわせなうた ぜんぶあげたい

わたしはすこし意志が弱い。
とくに好きな曲がふいに耳を
通り抜けていくときの、こころが
根こそぎどこかへいってしまうとき。
それまでの思いがふらちになる。

すべてがどれでどれがあしたで。
わからないまま音に身をやつす。

それは古い映画の主題曲みたいなときもあるし
今、コンビニでよく掛かっている
歌のこともある。

そういうときの感嘆詞はどういうんだろう。
うまく言えないけれど、ハ行に近い。
そんな状態に陥っているときのこころのなかは騒がしい。
ハ行のどれかを思いきり叫んで思いが乱れると
すぐ床やそこらへんにへたりこんでしまいたくなる。

今日、朝の遅い時間に
ちょうど、そういうピアノのメロディーを耳にした。

その刹那たちまち
音のかたちにじぶんのからだやこころの
サイズを合わせてしまいたくなって
あとのすべてがおろそかになってしまうから
困ってしまう。
でもずっと聞いていたいのだ。

とりわけなにかで失敗をして落ち込んでいるときなどに
そういう曲を聞くと
ちゃんと挽回するチャンスが欲しいなと思ったりする。

とっておきの1曲に出会えた日は
希求する思いにそそのかされて苦しくなる。
そんなとてつもなく甘えたことだけが
つらつらと頭のなかに浮かんでは
泡のように消えてゆく。

歌を聞いた後のささやかな副産物。
泡が生まれて風にまぎれるまでの時間は
私にとってそれはいつも至福を
もたらしてくれている。

       
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