その七十











 







 
















 

かぎりない 誰かのままで 手と手をつなぐ

ハサミのところだけが茹であがったように赤い
蟹の脱皮のシーンを映像で見た。

セーターをうつぶせのまま脱いでるみたいな
格好で、おしりのほうからじょうずに脱ぐ。

隣同士の一匹の蟹は足が何本かたりなかったのに
脱皮した時にはちゃんともとの数の足に
なってあたらしい蟹がそこにいた。

なくした足からわずかに芽のようなものが残っていて、
そこからあたらしい足が生えてきたのだという。

ナレーションがゆっくりとそこで立ち止まる時間を
与えてくれていたのでわたしはじっくりと
古い殻を脱ぎ終える迄を見ていた。

人知れず再生している。
ということと
ゆらぎのない静かな力、
を感じていた。

訪れたことのない川に棲む生き物は、
一連の行為を終えると、抜け殻を置いたまま
そのまま横歩きで、どこかへと歩き始めていた。

いつだったか子供の頃に飼っていたサワガニが
颱風の日に流されて行方不明になったことを
ふいに思いだしていた。

台風一過の晴れやかな朝。
きのうまでいたバケツの中には
あふれそうな水だけが溜まっていた。
満ち足りた水と
蟹の欠落と。

はじめてちいさなからっぽを感じた
一瞬だったかもしれない。

濁流に飲まれてゆくカニ。

心地よさそうに意思とは関係なく流されてゆくカニ。

ばかな想像を楽しんでいたら、不思議に寂しさは
襲ってこなかった。

ふいに出会う彼らの姿はいつでもわたしの
こころの奥の方に沈澱してゆき
とりとめもない順序である日浮かびあがってくる。

そして沈黙を目の前に差出しながら渦巻く感情と
邂逅させる。

ハサミがもうすでに赤いことがわたしの
記憶のインデックスに触れて、
さっきまでと表情の違う時間が
昔からそこにあったように
立ち現われていた。

       
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