その七二











 







 


















 

まっしろの ガーゼにくるみ 月にかざして

四角い透明のガラスの縁からこぼれそうに
咲いているユリの花が部屋に飾ってある。

大輪の白いカサブランカが十輪ほど挿してあるなかに
小豆色の花びらに海老茶のてんてんが
ついているヤマユリが一輪だけ混ざっている。

母はいつも堂々と大胆に花を生けるのが好きだ。

今日の朝方、庭に咲いている頭が重すぎるユリを
切り花にしようと、茎を手にしたとき
わたしはTシャツからはみ出している腕を
派手に花粉で汚してしまった。

平筆の刷毛で滑らせたように
臙脂色の帯状の色が肌に染みついている。

洗っても、擦ってもなかなか消えてくれない。
消毒液がいつまでも腕に塗られたままのようで
どことなく落ち着かなかった。

夜になって扉を締めて、どこからも外のからの
風が訪れない時間になると
花々はいっせいに匂いを一段と濃くさせてゆく。

じっとしていると息苦しくなってゆくほど、
花の存在をありありと香りによって指し示していた。

ふとわたしはむせるほどの匂いを感じながら
歌のことを思いだしていた。

わたしが始めて好きになった歌は、
<ゆりの花びん>が登場する。

たぶん部屋には男の人と女の人がいて
男の人の視線は女の人のさりげない仕種を
みないふりでみているようなそんな空間を
鮮やかに切り取った大人の匂いの漂う歌だった。

ふいに繙きたくなってその歌が収録されている歌集を
本棚に探しにゆこうとしたとき
母とわたしのいる部屋にとつぜん
微かな音がした。

乾いていたものが弾けるような音。

っぽんっ・・・。

控えめに響いた音のはじまりを手繰るように
ふと花瓶のユリを見ると
さっきまでつぼみだった花びらが
ひとひらだけほころんでいた。

咲き始める刹那、啼いているような
花びらが開く時のささやかな音を
はじめて聞いた。

今日いちにち。
その存在を気にかけていないときも
ずっとユリの花に抱囲されていたような
恐ろしく胸が脈打つ気持にわたしは襲われた。

肌も鼻もそして耳も。

からだのすみずみまでがユリの記憶に
刻まれてゆくようで、生きているものの
生々しさをからだで憶えてしまったような
そんな感じがしてならなかったのだ。

今日が終わるすれすれの時間。

さっき聞いたばかりの一瞬の啼き声は
耳のずっと奥のほうで
やさしいけどじょうねんもあわせもっている、
遠い物語の中の女のひとを思わせていた。

       
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