その七五









 








 























 

ねえあれが 火星でしょうか ほくろみたいな     

あっちから誰かがやってきて
わたしにすこし会釈して
またずっとあっちのほうへ
駈けてゆく人みたいに
なんか記憶がそこばっかりを
うろちょろしている時がある。

だいっきらい。

わたしがはじめて意思をかたく持って
言葉を放ったのはとにかく子どもに
とってはだだっぴろいだけの
広間に敷かれたふとんの中だった。

力の限り声を放った。

それも子守唄をしずかに歌ってくれている
祖母に向かって。

すこしだけ開いている障子のすき間からは
ベランダに煌々と灯りが差していたような
気がする。

たぶん満月の夜だったのかもしれない。

祖母が歌う子守唄の息継ぎの合間に
こわれたおもちゃのようにおばあちゃんの
うそつきと繰り返すと祖母は、
背中を撫でながら
あしたになったらねと
笑いながら答えた。

昨日の晩もあしたになったらね
その前の晩もあしたになったらね
と、云われたことをありありと思いだして
わたしはうまれてはじめてうそつきという
ことばを声にしたあと云ったのだ。

だいっきらい、と。

今思い返すと他愛もない。

祖父母の住む街へと夜の飛行機に乗って
母がやってくるはずなのに
昨日も今日も来ていないことへの不満を
ぶつけていただけだったのだが。

年を重ねて誰かに面と向かって
だいっきらいとうったえる
場面などはもう皆無に近いけど

あの日わたしは気持の奥のほうで汗をかきながら
必死にだいっきらいとことばにしていることが
こんなにも気持のいいことなのかと
感じているじぶんに驚いていた。

太陽が照りつく陽射しの下を
しらない親子が歩いている。

ぐずる子どもが親と手をつなぎ
その手を全身全霊で振り払うようにして
泣きじゃくりながらうそつき!と
叫んだそのあとでお母さんなんかだいきっらいと
言い放っているのを聞くとふとわたしは
あの日のふとんの中のじぶんを思いだす。

感情をゆがませる事なくそのままぶつけることへの快感。

もっともっと大きな声で叫べばいい。

見知らぬこどものその声に
わたしはしらずしらず
エールを送っている。

おとなになってから誰かにだいっきらいと云えるのは
甘えた関係を共有している場合にかぎるんだろうなぁと
まるで余計なことばかりが
去来していた。

からだいっぱいで思いをむきだしにできるこどもが
とってもまぶしく見える一瞬だった。

だいっきらい・・・。

       
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