その七六








 






 
























 

いたずらに のびてゆく道 夜をつないで    

片づけものをしていたら
靴箱の隅から突拍子もないものが出てきた。

手にとってみるとずしんと思くて冷たい。

わたしの掌のなかには単1単2単3の
ふつうのかたちのまだ使っていない乾電池と
ボタン型のちいさな電池が
まとめてビニル袋に入れてしまわれていた。

引っ越してきたのは3年前だったから
たぶん3年間は暗い靴箱の死角で
眠り続けていたんだと思うと、
なんか妙な気持になった。
歩いてゆくために履く靴の側に
電池が用意されているなんて
なんだかじぶんが生身のにんげんでは
なくなってしまったような気分だ。

じぶんのからだのどこかには
いくつかの電池を入れておく場所があって、
それを玄関でセッティングしてからでないと、
靴を履いても長い時間あるいてゆけないような
そういう仕組みになっていたら、
ちょっとばかりおもしろそうだ。

首のうしろでもいいし
二の腕のより内っ側のやわらかいところでもいいし
それこそ足の裏なんかでもかまわない。

プラスとマイナスをくれぐれも
まちがわないようにして
カチッと音がするまで格納する。

そうすれば、じぶんをめぐるあらゆることが
血となり肉となるのを自覚して、
きょうもパワー全開で街を歩けるのだ。

こころなしか胸のあたりが曇天なのは
アルカリ電池の寿命のせいだから
きっと大丈夫なのだ。
じきに治る。

靴箱の扉をあけるといつも奥のほうから
磨いたりケアしたりする薬品の
おとなっぽい匂いが一瞬漂ってくる。

その微かな香りのせいなのか
きのうもずっとその前もわたしは
一個の乾電池さえなく歩いたり読んだり
想ったりしていることをいまさらながら
不思議に感じていた。

みえない乾電池みたいなものに
支えられている日々があって
ここに在るということのいまに
虚をつかれたかんじ。

そんなしょっぱい日曜日。

       
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