第二十五回酒折連歌賞 一般部門総評


問いの片歌一 真っ直ぐな朝の日差しに大根を干す  西村和子 先生

この度、宇多喜代子先生の後継として初めて選者を務めました。先ず驚いたのは、応募作品のあまりの多さでした。毎日少しづつ選句をするつもりだったのですが、取り組んでみてすぐに方針を変えました。
それは、私が長い間創作し、選をしてきた俳句の韻律と連歌のそれとは、似ているようで全く別のものであることに気づいたからです。数日間、連歌の世界にどっぷり浸りきらないと選句が難しいと思い知らされました。
五七七の韻律に慣れてしまうと、問いかけの片歌がいつも頭の中に響き、応えの作品のバラエティーに富んでいることが楽しくなりました。発想や飛躍の自由なことにも感動しました。連歌の呼吸がわかってくると、自分でも作ってみたくなりました。
困ったことは、その間俳句が詠めなくなったことです。十代から高齢者まで幅広い年代から作品が寄せられたことも納得しました。
宇多先生の問いかけは、自然の中で生きる人間の工夫と営みを詠ったものですが、年代によって連想や発想が異なる点も興味深いものでした。問答の形によって、一人では創り得ない空間の飛躍的広がりが得られるのが連歌の魅力と言えましょう。俳句で言う「不即不離」の呼吸と似ているようです。しかし俳句よりはるかに自由な世界が期待できるのです。

 


問いの片歌二 巣ごもりがどうやら終わり春が近づく  三枝エ之 先生

文芸の創作は孤独な作業ですが、酒折連歌は問えば答えが返ってくる呼応の詩型、そこが貴重です。
登校してクラスのみんなと学ぶことができないリモート授業の日々、そして在宅勤務というシステム。コロナ禍の日日はいまも完全には終息していませんが、どうやら収まる気配の中で、さてあなたならば巣ごもりから抜け出してどんなプランを立てますか。これが今回私が投げかけた問いです。
思いっきり大きなプランの代表は時空を超えて飛び出す「凍土からマンモスゾウを呼びに行こうか」でしょうか。「好きだった内職できるリモート授業」は巣ごもりならではの効用を生かして楽しいですね。しかしどんな困難もマイナスばかりではないということを教えてくれたのは「戻らないあの一瞬にも幸せがある」。これはアルテア部門で評価されました。
コロナ禍という私たちが経験したことのない暮らしを生かしながらさまざまな答えが寄せられ、問答の魅力を再確認した選考でした。
酒折連歌は言葉のゲームであり、社会や人生の襞を映しだす鏡でもあります。来年も楽しみながら思い切った冒険プランでチャレンジしてください。

 


問いの片歌三 ユトリロの〈白の時代〉を抜け出して来い  今野寿美 先生

モンマルトルの建物の壁面をはじめ、深味ある白を大きく配した風景画がユトリロの絵の大きな魅力です。〈白の時代〉とよばれる初期の作品群ですが、ときおり描き込まれる人物は巨大な腰つきの婦人など、どこかユーモラスでもあります。昔から惹かれていた絵の数々を思い起こす感覚に、閉塞の状況からの脱出願望がちらっとよぎった片歌でした。
多かったのがピカソの〈青の時代〉と対比するかたちで応じた作品で、的確な印象でしたが、固有の呼称に引っ張られるせいか、全体が似通ってしまったのが惜しまれました。
ユトリロを念頭に置いた句では、古賀由美子さんの「もう少し浸っていたいパリの憂鬱」が抗う心を覗かせて巧み。また、角森玲子さんの「天才に大器晩成なんていません」や、駒形忠衛さんの「腕をくみわかったフリする名画を前に」は、美術界にちなむ発想のうちにも異色のおもしろさを放っていました。加えて、田崎武久さんの「レオナールフジタの白に飛び込んでゆけ」には、藤田嗣治の好んだ艶な白とともに哀愁を帯びた人生が思い出され、作品としての奥行きが感じられました。
一方、笹尾雅美さんの「千人のジャンヌダルクのひまわり畑」にこめられた時事的な訴えを見逃すわけにはゆきません。
さらに、園部淳さんの「大谷も海を渡って行ったじゃないか」は、「抜け出して来い」を受けての鼓舞の威勢よさが痛快でした。

 


問いの片歌四 運命のサッカーボール白線の上   井上康明 先生

世界的な疫病の蔓延に対して、私たちの暮らしは、少しづつ日常に戻りつつあります。酒折連歌賞は、その状況を反映しながら、日々の感情を語ります。今回の募集は、二〇二三年の三月、疫病が少しづつおさまりつつあった頃でした。募集要項の発表に際して、新聞が見出しにしたのが、二の問いの片歌「巣ごもりがどうやら終わり春が近づく」でした。この問いは、その頃の人々の思いが託された問いの片歌でした。そしてその答えは、豊かな物語を紡ぎながら、こまやかな日常をよろこびとともに語る、そんな答えの片歌でした。
大会大賞の答えの片歌「出られない「山椒魚」の頭でつかち」は「ユトリロの〈白の時代〉を抜け出して来い」という問いの片歌に対して、井伏鱒二の小説「山椒魚」を踏まえ、幽閉されている不自由を答え現代を暗示しています。さらに山梨県知事賞は、シェルター内のピアノを描き、現在と未来の戦争の一場面を描いています。ともに豊かな物語の世界です。
それに対して山梨県教育長賞の答えの片歌「せり、なずな、すずな、すずしろ、これだけでいい。」、同じく甲府市長賞の「ああいいな新しい朝何気ない日々」は、当たり前の日常のさりげない幸福を、手放しで称えています。

 


問いの片歌五 ひとつぶの種をまく朝ひかりこぼれて  もりまりこ 先生

短詩系の中でも酒折連歌は十九文字という、おもしろいリズム感をもっています。制限された文字数を仮に器だとすると酒折連歌は十九文字の器ともいえるかもしれません。今回そんな器の中に注いでみたかった言葉は、どこかに「はじまり」を思わせるものにしたいという思いがありました。世の中が少しずつ動き始めて街中に日常が戻ってきた実感に伴って、リアルにそったものにしてみたくなりました。アルテア部門においても、問いの「ひとつぶの種」が芽生えて実るという進んだ時間を感じる片歌に出会えたこともうれしく思います。
福永紗彩さんの「感情がこぼれる前に咲きますように」。問いの「こぼれて」いる朝の光に呼応するように、その対象を同じ抽象でも「感情がこぼれる」と詠んだ抒情的表現の巧みさが素晴らしかったです。「その光自分を導くみちしるべとなる」と詠んだ細倉笙太郎さんの作品は、問いのひかりこぼれた朝のそのひかりをまっすぐ自分の心へとつなげています。まっすぐな気持ちを十九文字にこめてゆくその静かなエナジーに、心打たれました。   
今回は中学生たちがアルテア賞でさまざまな才能を輝かせてくださったことも印象深かったです。ありとあらゆる言葉にあふれている現代ですが、その感性の種をどうぞ育んでいただけたら幸いです。次回も、思いがけない隣り合う言葉と言葉に出会えることを楽しみにしております。



 

第二十五回酒折連歌賞 選評


一般部門 大賞・文部科学大臣賞 今野寿美 先生 (選評)
問いの片歌三 ユトリロの〈白の時代〉を抜け出して来い
答えの片歌  出られない「山椒魚」の頭でつかち  江連守 東京都

井伏鱒二の短編「山椒魚」の哀れがたちまち浮かび、もうそれだけで問いの片歌へのぴったり感じゅうぶんでした。うかうかと大きくなって岩屋から出られなくなった当惑のままに、あれこれ思いをめぐらすそのさまが、いかにも風刺的にひびきます。ここ三年ほどの世界の状況をふまえているとすればスケールも大きく、現実を見事に茶化しています。その手腕に感服しました。
小倉楓子さんの「宵闇の羅生門から下人が招く」にも注目しました。ただ、下人は羅生門から立ち去って闇に消えるのですから、「出られない」という山椒魚のぼやきのほうが、より刺激的だったといえそうです。

 

 


一般部門 山梨県知事賞 井上康明 先生 (選評)
問いの片歌四 運命のサッカーボール白線の上
答えの片歌  シェルターで今日も誰かがピアノ弾いてる  合志龍樹 神奈川県

問いの片歌は、サッカーのカタール・ワールドカップでの日本・スペイン戦を思い出します。三苫薫という選手がゴールラインぎりぎりのボールを止めた瞬間です。それに対して答えの片歌は、戦争のなかの日常を語ります。未来の核戦争でしょうか、いや、現在のウクライナ、パレスチナ自治区ガザ地区かもしれません。人々は、爆撃を避けシェルターに避難しています。その非常時にも日常があり、シェルターからは、ピアノの演奏が毎日のように聞こえるというのです。現在の平和を象徴する、サッカーのクライマックスの瞬間に対して、戦争でのシェルターでのピアノ演奏という究極の芸術の時間を描いています。

 


一般部門 山梨県教育委員会教育長賞 三枝エ之 先生 (選評)
問いの片歌二 巣ごもりがどうやら終わり春が近づく
答えの片歌  せり、なずな、すずな、すずしろ、これだけでいい。  渡井由佳 静岡県

問いの片歌を投げかける作者はさまざまな答を想定します。この問いでは巣ごもりがどうやら終わります。さてあなたはどうしますかと問いかけていますから、活動開始のさまざまな楽しい答えが寄せられました。そのなかで渡井さんはむしろ慎ましいプランですが、祈りを込めた味わいのあるプランです。「せりなずな」とはじまるとこれはもう五七五七七の短歌形式を生かした春の七草がおのずから浮かんできます。「おぎょう、はこべらほとけのざ」と続きますが、それを省略して「すずな、すずしろ」と飛んで繋げるところに表現の工夫が感じられます。そして結びは「これだけでいい」。巣ごもりが終わる喜びを噛みしめる気配がここにはあり、静かで上質な問答となりました。

 


一般部門 甲府市長賞 西村和子 先生 (選評)
問いの片歌一 真っ直ぐな朝の日差しに大根を干す
答えの片歌  ああいいな新しい朝何気ない日々  山西彩湖 山梨県

作者は十七歳の高校生。疫病の流行や、戦争の勃発などの世界情勢の中で生きる実感を、なんと軽やかに、ふと口を突いて出た本音のように表現していることか。朝の健やかな日差の中で大根を干している情景を目にして、何気ない日々の貴重さに気づいた背景を、読み手は想像する。呟きのような言葉から、胸の内の嘆きや祈りが聞こえてくるようだ。言いたいことはたくさんあるのだろうが、ひとことの重みと力を信頼し、定型の響きと効果を活用してこそ、連歌の魅力は発揮される。

 


アルテア部門 大賞・文部科学大臣賞 もりまりこ 先生 (選評)
問いの片歌三 ユトリロの〈白の時代〉を抜け出して来い
答えの片歌  ぬりつぶす絵ノ具は心をうめつくせない  堀江文音 東京都

ユトリロが心病んでいた時、キャンバスを「白」で埋めていたとされる「白の時代」。色彩を拒んでしまいたい心情に対して、ユトリロへの賛歌にも感じられる問いの片歌です。そこへあざやかに飛翔した答えの片歌で答えられた堀江文音さんの作品は、圧巻でした。問いに呼応しながらも絵ノ具だけでは心の隙間をうめつくせないと抗いながらも、そこに強い意志と調和した飛躍を感じました。まるでユトリロの気持ちに沿っているかのように切り取って見せた十九文字に惹かれます。問いと答えの絶妙な距離感のすがすがしさに出会えたことの喜びを感じています。

 


 

 



 
     
 

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