一般部門 大賞・文部科学大臣賞 今野寿美 先生 (選評)
問いの片歌三 ユトリロの〈白の時代〉を抜け出して来い
答えの片歌 出られない「山椒魚」の頭でつかち 江連守 東京都
井伏鱒二の短編「山椒魚」の哀れがたちまち浮かび、もうそれだけで問いの片歌へのぴったり感じゅうぶんでした。うかうかと大きくなって岩屋から出られなくなった当惑のままに、あれこれ思いをめぐらすそのさまが、いかにも風刺的にひびきます。ここ三年ほどの世界の状況をふまえているとすればスケールも大きく、現実を見事に茶化しています。その手腕に感服しました。
小倉楓子さんの「宵闇の羅生門から下人が招く」にも注目しました。ただ、下人は羅生門から立ち去って闇に消えるのですから、「出られない」という山椒魚のぼやきのほうが、より刺激的だったといえそうです。
一般部門 山梨県知事賞 井上康明 先生 (選評)
問いの片歌四 運命のサッカーボール白線の上
答えの片歌 シェルターで今日も誰かがピアノ弾いてる 合志龍樹 神奈川県
問いの片歌は、サッカーのカタール・ワールドカップでの日本・スペイン戦を思い出します。三苫薫という選手がゴールラインぎりぎりのボールを止めた瞬間です。それに対して答えの片歌は、戦争のなかの日常を語ります。未来の核戦争でしょうか、いや、現在のウクライナ、パレスチナ自治区ガザ地区かもしれません。人々は、爆撃を避けシェルターに避難しています。その非常時にも日常があり、シェルターからは、ピアノの演奏が毎日のように聞こえるというのです。現在の平和を象徴する、サッカーのクライマックスの瞬間に対して、戦争でのシェルターでのピアノ演奏という究極の芸術の時間を描いています。
一般部門 山梨県教育委員会教育長賞 三枝エ之 先生 (選評)
問いの片歌二 巣ごもりがどうやら終わり春が近づく
答えの片歌 せり、なずな、すずな、すずしろ、これだけでいい。 渡井由佳 静岡県
問いの片歌を投げかける作者はさまざまな答を想定します。この問いでは巣ごもりがどうやら終わります。さてあなたはどうしますかと問いかけていますから、活動開始のさまざまな楽しい答えが寄せられました。そのなかで渡井さんはむしろ慎ましいプランですが、祈りを込めた味わいのあるプランです。「せりなずな」とはじまるとこれはもう五七五七七の短歌形式を生かした春の七草がおのずから浮かんできます。「おぎょう、はこべらほとけのざ」と続きますが、それを省略して「すずな、すずしろ」と飛んで繋げるところに表現の工夫が感じられます。そして結びは「これだけでいい」。巣ごもりが終わる喜びを噛みしめる気配がここにはあり、静かで上質な問答となりました。
一般部門 甲府市長賞 西村和子 先生 (選評)
問いの片歌一 真っ直ぐな朝の日差しに大根を干す
答えの片歌 ああいいな新しい朝何気ない日々 山西彩湖 山梨県
作者は十七歳の高校生。疫病の流行や、戦争の勃発などの世界情勢の中で生きる実感を、なんと軽やかに、ふと口を突いて出た本音のように表現していることか。朝の健やかな日差の中で大根を干している情景を目にして、何気ない日々の貴重さに気づいた背景を、読み手は想像する。呟きのような言葉から、胸の内の嘆きや祈りが聞こえてくるようだ。言いたいことはたくさんあるのだろうが、ひとことの重みと力を信頼し、定型の響きと効果を活用してこそ、連歌の魅力は発揮される。
アルテア部門 大賞・文部科学大臣賞 もりまりこ 先生 (選評)
問いの片歌三 ユトリロの〈白の時代〉を抜け出して来い
答えの片歌 ぬりつぶす絵ノ具は心をうめつくせない 堀江文音 東京都
ユトリロが心病んでいた時、キャンバスを「白」で埋めていたとされる「白の時代」。色彩を拒んでしまいたい心情に対して、ユトリロへの賛歌にも感じられる問いの片歌です。そこへあざやかに飛翔した答えの片歌で答えられた堀江文音さんの作品は、圧巻でした。問いに呼応しながらも絵ノ具だけでは心の隙間をうめつくせないと抗いながらも、そこに強い意志と調和した飛躍を感じました。まるでユトリロの気持ちに沿っているかのように切り取って見せた十九文字に惹かれます。問いと答えの絶妙な距離感のすがすがしさに出会えたことの喜びを感じています。
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