その三五一

 

 

 





 






 





















 

惜しみなく 去ってゆく 犬のまなじり

 赤と青のニットの短いセーターを着た見知らぬ犬が、飼い主と散歩しながら、こっちばかりを振り返ってみてる。

 リードの先に違うかたちのエネルギーを感じた飼い主は
立ち止まろうとしたその犬を、軽く窘める。
 目が合う。飼い主とではなくてそのちいさな犬と。
 ずっとこっちを向いたまま、ぴたりと止まって。
 決して動こうとしない。足がアスファルトにくっついて
しまったみたいに。
 わたしも、なんとなく知らんふりできなくて、そのまま
立ち止まる。

 その眼はどうも、挑むのでも甘えるのでもなくて、どちらかというと、ねぎらっているようにみえる。
 その犬になにをねぎらわれているのかも不明だけれど、
そういう風情だった。

 そしてしぶしぶ去って行くのだが、飼い主は動かない犬のリードを正しい方向に引っ張って。犬は曲がり角あたりまで、なんども振り返ってさいごには、なぜだか慈悲の眼差しを差し向けたまま、飼い主とともに去ってゆく。
 こういうシチュエーションに、もやっとした既視感があった。
 気がつくと、たいていの犬たちと出会い頭で出会う時、みんな一様に同じ行動を取っていて。そのせいかいろんな犬達の目をみてしまうことになる。

 犬と暮らしたこともないのに、犬の好奇心をくすぐっているみたいで、複雑な気持ちになる。
 雑誌をぺらぺらめくっていたら、アクシデントのように
パリの犬特集のページをみつけた。
<パリのぞうきん犬。>とタイトルがついていて、その写真には、ほんとうにモップのようにふさふさふわふわの毛むくじゃらを身にまとった犬が写っていた。

 数々の犬を見て来た女の人が、<かねてからパリの犬は
どうしてこんなにも可愛いのだろうと思っていました。>
と、冒頭の言葉が綴られていた。
 アメリカやイタリア、中国などでも、犬の表情がぜんぜん違うらしい。
 彼女曰く、<愛されただけ愛くるしくなってくる>もの
らしく、<人間にかまわれるほど、野生が人間好みになっていくことかもしれない>と結論づけていたのが面白かった。

 マキシム、リタ、オーウェン、ピストゥ、ルポ。
 写真のキャプションに添えられている彼らの名前を眺めながら生きている物はやっぱりそういう愛情に比例してゆくものなのかなと思う。
 動物も花も、ひとも。
 なくしたものばかりに眼がいってしまうけれど、やっぱり愛された記憶だけはしっかりとからだのどこかに刻んで
おきたいな、と。
 唐突だけど。いちばん初めにじぶんに名前をつけてくれた人のことを大切にしたいと、そんな思いが浮かんでいた。

 ニットを着せられたあのちいさな犬が、こんなところまでわたしの思いをみえないリードで引っ張ってくれたみたいで、なんだか、ふいに遠吠えしたくなる気分です。


       
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