その三五二

 

 

 






 






 























 

放たれる ありふれた声 まなこのゆくえ

 ビルの中のエレベーターの扉が開くとギャラリーの
中の硝子越しにすわっている男の人がいた。
 ずっと絵を描いて来た人の眼。
 その人の眼は、なにか獲物を狙っているようなどこかをみているようで、その視点の先を突き抜けてもっとどこか遠くを見ている視線だった。

 やさしい風合いのデニムのジャケットを羽織っているのに、その眼のところだけはその人が醸し出している空気とはまったくちがって。
 別のからだに別のあたまがくっついているみたい
だった。

 こんにちはって声をかけてしまったら、その人がじぶんのじんせいをかけて培ってきた、はりつめた糸が、その声にふれたせつな、ぷちんときれてしまいそうで声がかけられなかった。

 壁には彼が住んでいる田舎の風景が水彩画が掛けられていた。
空に近づくように重なる山並み。家路に向かう自転車を漕ぐこども。
 ちらほらと灯りのついた、ちいさな家が並ぶ村。
 どこをみてもやさしくにじんだ色がとけあっているのに
それを描いた人の眼は、射抜くようなきびしさに取り囲まれていた。

 作品の前でじっとしていたとき、ふと背中に指がふれたのがわかって、振り返って彼にこんにちはをした。
 目の前にいるのは、あの風景画を描いたひとと地続きで
繋がっているそのひとそのもので。どこにも破綻もないし
はりつめすぎた糸もみえなかった。
 つい何分か前に、目撃してしまった瞳のするどさをその
眼の中に探そうと思ったけれどそれはもうどこにもなくて。

 画家の眼はそういうものよ。ってあとで親しい人が教えてくれたけれど、似たような眼の人に出会うとすぐにその時のことを思い出してしまう。

「毎年、氷は解け、風と潮は海の彼方へ、壊れてしまったものの破片を連れていく。次に春を、次の夢を」
 このあいだ見ていたPR詩の美術館の紹介ページに掲載されていた、写真家の繰上和美さんのポートレートとことばに引き寄せられる。

 24才で上京してからずっと封印してきた故郷北海道を
ニューヨークの友人と<記憶の旅>を旅したときの写真集『NORTHERN』についての言葉を手繰る。
その隣には大きく写し出された彼の写真。

 静脈の浮き立つ掌を重ねながら、眼のゆくえはそれを想像することさえ拒否されたような、強い光のまなざしがあった。
 彼がみつめてきた光景や、はてしないひとたちは、そのふしぎな彼の瞳の色が、ぜんぶ吸い込んでしまってもうかれらは何処にもいないような気がして、見入ってしまう。

 おなじ色の眼をしたひとと、いつかであったことをふいに思い出して、記憶が息を吹き返す瞬間はこういう思いがけない場所にあることを、突然知った。


       
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