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り
ん
か
く
の
と
り
と
め
も
な
い
み
ず
の
か
ら
だ
は
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脈打つ こころこぼした さかなに触れる
あんまり近すぎてよく見えなくて。
そのりんかくがぼんゆあり。ぼんゆありと移ろっている。
突然の雨のせいで、傘のうえを雨音がすべっておちてゆく。
一瞬つよい雨脚は、そのかさのひふのうえで、ふいに跳ね返りながら何処かへと着地して、名もない場所へとかえってゆく。
水のあつまるばしょで、手と口をすすぎながらこのみずはいつもあたらしい匂いがすると思う。
ふと、みずはいつ年老いてゆくのだろうと思いそのりんかくを見ている。
掌にすくう水のりんかくはみつけたその刹那こぼれてゆく。
傘の内側のほねが、すこしぎくしゃくしている。
関節をつなぐようにしてひとつになっているそこがすこしゆるんでいる。
かさのほねがって声にしようとして、かさにもほねがあることをあらためて、感じて、うちがわをみる。
たくさんのほねで支えられている傘が、どこかちがったものにみえる。
りんかくがまたたくまに消えてしまう雨粒をなんどもなんども受け止めているのは、細いけれどしっかりとした骨組みをもった深緑の草模様の傘。
あの建物のほねぐみ。
あのひとの文章のほねぐみ。
無機質な物がとたんに、なまなましい肉体を持っているようで、妙な気分になる。
脈打つものをそこにみつけられないものでも、みんなそこにからだをたずさえているものなのかもしれないと思ったりして。
傘の上をおちてゆく雨音を聞いていて、この間みていた
シドニーポラックのインタビュー番組のことばが、浮かんでいた。
<水の発見者は知らないが、魚でないのは確かだ>
彼がそういった時のふるまいが、なんだかやんちゃっぽくていたずらをしかけたことを早くしかけた相手に気づいてほしがってる子供みたいだったので、記憶のなかに焼き付いてしまった。
あなたが作った映画が与えた影響はどんなところにあると思いますか? と問われてあまりちかくにありすぎると
よくわからなくなるという答えにからめながらの言葉だった。
水のふたしかな輪郭の中で泳ぐ魚がそこにいて。
さかなは、かたちのあるようでないみずをまとって。
世界中のさかなたちが、そうやってとりとめもないほねのないものにゆだねながら、はてしない時間を越えてゆらいでいる姿をふいに思い描いていた。
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