その三五七

 

 

 






 






 


























 

めざめても めざめのそとに いる人といる

 曇った空を切り取った窓からみえる薄いひかりは、ふたたび雲に吸い取られて行くのがわかる。

 どんよりした日は、なぜかこことは違うどこかのことを思い描きたくなってしまう。
 たえず、ここじゃない場所への憧れはつよいのにいつもわたしはここにいるような気がして、もどかしくなってしまう。

 電車の中で半ズボンとブレザーの制服を着たランドセルを背負った男の子達が誰かに云う。
<ぼくはとべると思うな。ぜったいぜったいとべるって。だって・・・・>
 ふいに特急とすれ違う。車両をつなぐ太い蛇腹のあたりになにもかもが奪われてゆくための残響がして、子供の声がかき消される。

 昨夜みたマチュピチュの映像を思う。
天空都市、マチュピチュはかつてコンドルの神殿と呼ばれていたらしく。
 コンドルは雨を降らせる聖なる動物だったと紹介されていた。
おおきな翼で雲をかき集めて、雨を降らせ作物を実らせてくれる。
 人々はそんな恵みをもらうかわりに、リャマやクイなどの生き物を捧げることで、コンドルとともに取引を交わしていたのだと現地の人が語っていた。

 いけにえという文化をどういうふうに理解したらいいのだろうと思っていたら、彼はそのことを<神と人間のコミュニケーションの手段>だったと解釈してくれた。
 作物の恵みのお礼にささげるいけにえ。
 そんなふうに聞くと、残酷にさえ思えた行為が、互いに通じ合うまっとうなふるまいのように思えてくる。

 いまだに謎の多いマチュピチュは、クスコとアマゾンの中間地点に位置するらしく。交易のための物資の中継地点、物資を管理する場所だったのではないかという推測がなされていた。

 マチュピチュの謎が解明されることよりもなぜか、コンドルのことばかりが眼に焼きついたまま、忘れられない。
 空にはコンドルが飛んでゆく映像が、はさまれてゆく。
残像のようにコンドルの広いつばさが空にとけてゆくのではなくしっかりとした輪郭線をもって羽ばたいてゆく。

<老いた道>という意味を持っているマチュピチュはあらかじめ失われたなにかを背負っている場所として存在したのかもしれないと思いながら、コンドルを眺める。

 太陽にいちばん近い場所にある、年老いた道。
すこしずつ年を重ねるのではなくて、もう既にはてしない時間を生き抜いて来た場所にいつか立ってみたいと思う。

 鳥にあこがれなんてなかったはずなのに、あの翼の動きがまぶしくみえて、こころがいつもいつもここではないどこかを求めていることを知った。いつも自分の願望は一瞬おくれてやってくることに、すこしばかり混乱している。


       
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