その三六七

 

 

 




 





 


























 

あらかじめ 失われている 誰も彼も

 八月のある朝。寝苦しかったせいか罪悪感でいっぱいの気持ちのまま眼が覚めた。
 たぶんなにか夢を見ていたような気がするけれどそこに登場していた見知った人は、家族らしき人達に囲まれて微笑んでいた。

 ゆめのあとの印象が、こんなふうに罪悪感としか言い表せないようなことは、はじめてに近かったかもしれない。

 謝っているこころのまましばらくじっとしている。
泣きそうになる前のあの感情に似たものが、よぎってゆく。
 昔はいつもあたりまえに側にいたひとが、唐突に映像として眠りのなかにひたひたと分け入ってくると、胸のどこかがふらっとゆれる。

 起きて洗濯をして、干し物に触れながら、空をみていてもうっすらと昼の月のように、あのじめっとしたつみのいしきがはりついているようで、すぐにでも、拭いたかった。

 家事の合間に本棚を眺める。
 本棚にならんでいる本の背表紙も冬とちがって息をしているかのように、なまあたたかい。
「失われた時を求めて」の世界という副題のついた雑誌を手に取ってみる。
 いたづらにぺらぺらとめくり、眼が止まった。

<眠っている人間は自分のまわりに、時間の糸、歳月と世界の秩序を、ぐるりとまきつけている。
目ざめると、人は本能的にそれに問いかけて、自分の占めている地上の場所、目ざめまでに流れた時間を、たちまちそこに読みとるものだが、>

 そこまで読んで、じぶんのさっきまでの状態が生まれてはじめて<夢>を見た人のように、しっくりと馴染んでくる。
 ゆめのなかの秩序は、ゆめのなかではおおよそ正しいはずなのに、めざめたせつな、時間を辿ることができないくらいに、でたらめになって挙句の果てには、ふいに途切れてしまう。

 途切れてしまったものは、もうどこにも存在しなかったかのように、なにものともつながらないし、ただこっちは空白のなかに、ぽつねんとしてしまう。

 階段を下りて、牛乳を飲みたくなって冷蔵庫を開ける。こんなに暑いのにミルクパンで温めようかという誘惑に駆られてしまったのは、さっき読んでいたページに、沸騰する牛乳が「吹雪」や「船の帆」「真珠母色」のイメージで、語られていたからだった。

 夏はどことなく神経がゆるんでいるせいか、ふだん手を出さないようなことに、うっかりつまずく。
 ゆるやかに流れて行く感情が年々、つよくなる気がする。

 ミルクの研究はあきらめて、もういちど雑誌をひらいて、ゆめについて書かれた箇所にもどろうとした。

 でもぶあついページのなかで、さっきまでよんでいた「ゆめのなか」が引用された文章はみつけられずにいた。
 そこにあるはずだとわかっているのに、閉じてしまったページの中ではかたくなな生き物のように静かに息を潜めているみたいに。

 おびただしいほどのことばの海の中で、溺れてしまったような、あるはずのものがほんとうはもうすでに失われてしまっているかのように失踪していた。
 そしてゆめでみていた彼らももうすでに、この地上にはいないかのように思えて、仕方なかった。


       
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