その三七五

 

 

 






 







 























 

問いかけに 答えてくれる 声のあるじは

 陽の光はあたたかなのに朝から風が強くて、
ガラス戸もがたがたと鳴っている日曜の午後。
 むかしの雑誌の切り抜きを出して来て、ちらちらと眺めていた。
 松林誠さんの無垢で暴れていてそれでいて、思いが途切れたり思い直したりそんな時間の経過をあるがままに描いたような緑色の線が気になる。

 バリー・ユアグローという作家の書いたショート・ショートの挿絵というよりは、存在感たっぷりに彼の絵がならんでいた。
 緑いろに導かれるように読み始める。
 それはすべて夢にまつわる話で、構成された五編。

 夢の話といっても、作家がほんとうに見た夢の話ではないはずなのに、他人もゆめを見ている時はわたしとおなじような現象に出会ってるんだなって確認できるところに、共感を憶えつつ読んでいて飽きなくて、夢中で彼のゆめの中に入り込んでしまう。

 「気象学」と題されたその掌編は、主人公が気圧計の針を見て「天気が変わるぞ」と思う所から始まる。
 窓辺に行って空を見上げるけれど、雲一つでていない。
 そこへひとりの娘が、麻袋を抱えてやってくる。
 そのなかに手を突っ込んで白い塊をつぎつぎとだしてゆく娘。その白い塊を宙に投げるとやがて、ふわふわと広がりながら飛んでゆく。
 よくみると、それは雲で。でも彼女の力はあまり強くないから、その主人公の家の白樺の樹に引っかかったまま。
 その雲は空の中ではなくその場所で、黒雲になってゆく。
<小型の雷鳴>と<ちっぽけな雹>を浴びるふたり。
 白樺は焼けこげてしまうけれど、ふたりの間にあたたかい会話が生まれて、話の流れから、雲を誕生させることが
彼女の<夏のあいだのアルバイト>であることを知る。
 夢の中の主人公は、<正直言って驚きだな、天気がこうやって作られるとははね>と呟く。

 <でしょう、すっごく簡単なのね。だけど内実を知ってみれば、物事ってほとんど何でも、すごく簡単じゃないかしら>彼女がそう答える。
 主人公の男の人は、彼女の行動とその言葉の指し示す不均衡さに戸惑いつつも<そうだろうね>って返事をする。

 この後も彼らの会話はすこしだけつづくのだけれど、わたしはバリー・ユアグローというこの作品に触れて、なんだか、あたたかいものを彼らの会話のなかからすくいとった気分になっていた。

 夢のなかで、じぶんが娘の立場だったとして。
 他人から拒まれていない、なにか掛け値なしの姿のあるがままが許されているようで、こんな夢ならいちどは、みてみたいなって思った。

 もういちど、好きな箇所を眼で追う。
 なにげない会話のなかにこころが軽くなるような、ひとつの道が説かれていて、それがゆめであることが余計にリアルに迫ってくる。

 この文章の冒頭で、わたしは、ゆめは他人のなかでも
じぶんと同じなんだなって納得しているけれど、やっぱり
これはゆめじゃなくて、掌のなかに包んでおきたいような
小説のなかの話なんだなってことを思う。
 思うけれど、再びこの話のなかに紛れ込むと、そのせつな
じぶんがいつか見たゆめのようで、なにかがぐるぐると
まわりながら、世界がつづいていっている錯覚に
ひとしきり陥っていた。

       
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