その四四四

 

 




 





 













































 

闇と闇 手さぐりのゆび 夜をなぞって

 いちねんが終わってゆくその意味の輪郭みたいなものが、年々形を変えて行っている気がする。
 走っているときは気づかないのに、さまざまな出来事に遭遇して、立ち止まらされて、過去をふいに思い出す時。
 よろこんだりたのしんだり、おこったり、かなしんだりする度ごとに、どこかにしまわれていた記憶が、思いがけず顔を出す。

 いまは冬だから、ふゆのこころのままだけれど。
 夏だった頃は、遠いむかしのように思えてきて。
 素手ではあまり思い出せないので、今年の手帳をぱらぱらとめくる。
 ちいさなましかくの切り抜きや、折りたたまれた新聞記事など。いろいろなものが、ぺーじの間にはさまれている。<こんなことに関心がありました>手帳は、そういう記録なんだなって、いまさらながら思う。

<暗い脳内に一瞬点灯するのが、記憶ならそれは夜空に上り、ひととき形を作り、やがて残像となる打ち上げ花火に似ている。>
 福岡伸一さんの「やわらかな生命」のなかで出会った
文章。
 記憶ってほんの一瞬なのに永遠のいのちを携えたみたいに、ふくよかにじぶんのなかで育ってゆくからふしぎだと思う。
 花火の残像はまぼろしに似ているのに、いつまでも夜空に咲き続けている気がして。
 花火って、ほんとうはぜんぶあのまぼろしを記憶のなかで信じつづけている行為なのかもしれないなって。
 それってつまり記憶のことなんだって、福岡さんのことばにいざなわれるように、夢想してみた。
 いつかみた打ち上げ花火の記憶も、ほんとうに脳のなかで、いつまでも花びらのひとつひとつが灯されているみたいで。ほんとうの花火も脳のなかの花火も、その現象は輪を描くようにどちらかに、着地してゆくようで。

       
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