その四八六

 

 




 







 










































































 

さかさまの せかいのふたり 逃げほとばしる

 いつだったかの9月頃。
 週1で上野の美術館に2度行った時、ランチをした店のレシートがでてきたことがあった。
 出かけた時間もまったくおんなじじゃなかったのに、そこに印字された時間を見ると、まったく同じ時間だったっていうことが、あった。
1722と記されていて、うそみたいな偶然がうれしくなって、しばらく手帳のなかにしまってあった。

ちいさいときに、算数も数学もだいきらいだったけれど。数そのものはどこか、好きなところがあって。
 素数もそのひとつ。
 とりたててくわしいわけではなないけれど。
 なんとなく素数のもつ孤高な感じが好きなのだ。
 素数は無限に存在するっていうところも、好ましくって。ほんとうはみんな孤と孤のあつまりなわけでって擬人化できる余地を残してくれているところにも惹かれてしまう。

 この間、福岡伸一さんのエッセイを読んでいたら、素数のことが綴られていた。
<素数の中の素数にエマープがある。反転しても互いに素数である場合をこう呼ぶ。13と31、37と73、113と311など。>
 読みながらどきっとした。113は<アジアで発見された初めての元素二ホ二ウムの原子番号>
 去年の終わりから今年の初めにかけてわたしはこの113という数字にどこか導かれていたような体験をいくつかしていたので、とても親近感がを感じた。
 大好きだったひとにまつわる数字と名前を、会ったこともない南の島に住むちいさな男の子が持っていたこもあって、ずっとわたしのなかにその番号は、棲んでいたような気がしていた。
 かなしいかなニホニウムの寿命は0.002秒で。そんな物語を携えた数字が、エマープという性格の持ち主だと知ってぽっかりとする。いるのにいないようないないのにいるような、孤がふたり寄り添っているような景色をふいに描きたくなっていた

       
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