その五四三

 

 






 







 















 

偶然を 生きてる猫と 抱擁したよ

じぶんのことではないけれど、親しいひとに気がかりなことがもちあがっていたので、少しだけ、こころのなかがちらかっていた数週間だった。

大丈夫だろうという思いは、ふしぎなのだけれど。いつも誰かじぶん以外の人につよく思う癖があって。そのときも、大丈夫だよってなんどもそのひとに言っていた。
じぶんのときはくよくよするけれど、誰かのことについては「大丈夫!」ってそれこそすごく自信をもっているところがある。

そんなときに、猫のエッセイに出逢った。猫のエッセイ。
猫が書いたんじゃなくて、猫をこよなく愛する社会学者の方の文章だった。
<猫とは―――人生である>というタイトルから始まる。
そのタイトルからどことなく、書かれている内容をじぶんのなかで想像していたのだけれど。それは読み進めるうちに、まったくあたらしいドアを開けたような気持ちになった。

おはぎちゃんときなこちゃんという猫に出逢って、20年という時間を奥様と共に過ごしている時間が描写されている。<たまたま>拾った猫と<たまたま自分の人生を生かされている>ことに気づき、たまたま出逢った猫なのに彼らに<差し出した時間>を誰も<後悔する人がほとんどいない>。彼ら猫たちを<終生かわいがる>それって<猫は人生である>だろうと、やわらかな軌跡を描くブーメランのように読者に問いかけてくる。
スペアのきかない人生を生きているわたしたちがあらためて浮き彫りになってゆく。彼は新しい層を重ねるように綴る。
<猫を拾っているのではなく、人生そのものを拾っているのである>と。

もう屈服した。したし、なにかわからないけれどわたしが出会った幾人の懐かしい顔を思い出す。親しいあの人の顔も。それは計画されたものではなく、すべて<たまたま>出会った人たちであったように思う。
<たまたま>そういう人たちに出会えたことが、たまらなく愛しく思える。

思えば、その親しいひとはいつもわたしが悩んでいると<大丈夫よ>と励ましてくれた。
昔飼っていた黒猫のクロンも彼女が大好きだったのでいまごろ<大丈夫さ>って言ってくれてると思う。

それから数日、やっぱり危うかったけど彼女は大丈夫だった。だからこの猫のエッセイを教えてあげた。
かなり感動してくれるんだと思ってたら、意外にそうねって淡々としていた。思いが伝わったのかどうか、わからないけれど、この淡々さが戻っていることが、わたしはなによりもうれしかった。クールな反応イコール彼女なので、彼女なりにそれはにゅうとらるな日常を取り戻した証なんだろうと思って。

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