その五七〇

 

 






 





 
















 

よく似てる 後ろ姿の 尻尾 焦がれて

ちいさい子供とお父さんが、なにかをなしとげて
ハイタッチ。たどたどしくあがってる手のひらに
おとうさんがじぶんの手のひらを近づけてハイタッチ。
赤ちゃんも、なにかよくわからないけれどおとうさんと、
体の一部がふれた温かさで笑ってる。

ハイタッチってもしかしたら、したことないかもって。
記憶を辿る。
きっとない。って思った側から林間学校でサバイバル
したときにゴール地点で待ってくれていた大学生の
お兄さんがハイタッチしてくれたかもしれないって
思い出す。

ちょっと前に観た映画、『ボブという名の猫』では、
かわいい茶トラ猫のおかげでお客さんがたくさん
聞きにくれたことを祝って、通りの隅でその飼い主で
あるひとりのホームレスのストリートミュージシャンと、
ボブ君がハイタッチしているシーンをみた。
実話らしいこの映画は後日談で読んだ記事では、ボブ君役は
ほんとうに一緒に暮らしているボブ君で、ハイタッチが特技
らしいことが触れてあった。
取材者の方にもハイタッチしてくれたみたいで。
いつもできるってところが、すごい。

猫の肉球のつるっとしたところとまわりの毛のざらっと
したあの感触を思い出す。
そんなことをタイピングしていたら、ふとぱらぱらと、
新聞の切り抜きが、今年の手帳の6月のページから落ちて
きた。
<載せられた手の感触を記憶しようと両肩に意識を集中する。
でも秋の乾いた空気が首筋を撫でて、そこにあった微熱のよ
うなものを感じる前に奪い去って行ってしまった>
これは沖縄生まれのアーティストミヤギフトシさんの小説の
1シーン。読んでいるだけで手が置かれていた肩のあたりに
体温を感じるし、このまっすぐな思い、熱は記憶を通して、
今存在していたるのだと気づかせてくれる。

手のひらと手のひらが一瞬触れる。
あの瞬間は、じぶんとはちがう相手の熱を感じるとても、
シンプルな唯一の方法なのかもしれない。
それは決してずっとではないし、永遠に続くものでもない
けれど。永遠じゃないからそれはだれかのなかで永遠に、
なってゆくのだと。
赤ちゃんもボブ君もあのままの時間はほんとうにせつない
ぐらいの速さですぎてゆくのだから。
振り返るとまぎれもなく<微熱な日々でした>って、
そんな時間が誰にもあったしわたしにもあったのかも
しれないなって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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