その六二一

 

 






 








 














 

こぼれても 散りそこなっても 咲けるといいね

紙の新聞を今も読んでいる。
今も新聞って書かずに紙のと前置き
しなければならないことが、当たり前に
なっているけれど。

わたしは紙の新聞がやめられない。
オンラインでつながる場所でちょこっと
モノをかいているけれど。

そこはわたしが知らなかった読者に出会える
場所でもあるので、誰かに書いたものをすぐに
読んでもらえるだけじゃなく言葉をもらえる
そのことじたいは、今まで考えられないぐらいに
よろこびだし、書くことへのモチベーションが
高まったと思う。
毎日仕事でもないのになにかを書いえているなんて
ちょっとそんな自分にびっくりしているけれど。

そして。
この間、久しぶりにじっくりと部屋でひとりで
新聞を読んでいた。
ベッドのシーツには陽が差し込んでいて
とても心地いい風が吹いていたそんな午後。

ふと、新聞の文字を目で追いながら
時々外を行きかう宅急便の車の音と
学校帰りの子供達の声と鳥の鳴き声がしていた。

静だなっておもったとき、ちょっとこの静かだなって
いう感覚を久しぶりに味わった。
新聞の記事とわたししかいない。
いつだって目に見えているのは、パソコンとわたし
だけれど。
新聞の記事の誰かとつながるわけじゃなく
淡々と、記事の中に流れている時間だけを
堪能しているじぶんに気づいた。

わたしは正直、人見知りだしちょっと離人症的
だと知人にも指摘されるぐらい社交下手だけど。

いわゆるSNSすることで、会ったこともない
誰かとつながるという経験を去年の6月頃から
体験してみて、ちょっとだけ疲れてもいた。

彼らにではなく、そのサイクルにだと思う。
そして、新聞を読んだ時あらためて、
誰ともつながらないような時間も大切だと
知った。

もしかしたらSNSをしなければ、感じ得る
ことがなかった感覚かもしれないけれど。





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