その六八二

 

 




 








 





 

ひたすらに 声が聴きたい 肉声という声が

まだ、SNSもやっていなかったころ。
人と会うのもオンラインじゃなくて
ちゃんと待ち合わせして、その場所まで
行って、こんにちはと目を見て喋って
いた頃。とある出版社の編集者の方に言われた。
2冊目の本の予定はないんですか?
そんな雰囲気がみなぎっていたので
わたしの分が悪いことは重々知っていた。

副編集長である彼女は、開口一番
「ちなみにフォロワー何人
いらっしゃいますか?」
と、切り出した。

SNSやってないので、ゼロですねって
言った。

はぁ、とその目を見て一瞬にして彼女が
わたしへの興味を失ったことはみてとれた。

「やらないんですか? SNS」。

あの頃わたしはSNSアレルギーだった。
SNSでなんか発信しない者はそれこそ
居ない人のように数えられているという
そんな風潮があるのも知っていた。

それは、それで結構ですという気分
だったし。

誰にも把握されたくないとも
思ったていた。

「SNSやらなくていいのは、売れっ子だけ
ですよ」
くさびを打たれた。

誰かとつながらなくても、リアルで
会っている人だけで充分だと。

そして、フォロワー何人ですか?
という言葉を聞かされて。
一生フォロワーとかいう人たちの
数に縛られた暮らしとは無縁でいたい
とさえ思っていた。

そして2年半前にとあるSNSにやって
きた。

なにかから逃れるためのような
言いたいことがひとつだけあって、
それを言ったら終りにしたかった
だけだった。

ここしかなくて、たどり着いた場所。
そこで出会ったひとたちが、見せてくれる
景色は、思っていたものとは違う世界だった。

親しくなった彼らが、この場所に居ることが
きまぐれなわたしの支えになってくれている。
でも彼らをわたしのフォロワーだと思った
ことはない。

彼らをフォロワーという数でみたことは
ないから。

実際会ったことはなくても
日々の綴られた言葉やイラストや写真に
触れているうちにそこに人格のようなものが
ずっと形作られて、馴染んでゆく。

馴染むとは自分の暮らしに色が添えられて
ゆくことでもある。

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