その六八四

 

 






 






 






 

リミットを はずしてみせる ギリギリのひと

『川っぺりムコリッタ』荻上直子著。
今年出会いたかった一冊だった。

できうる限り限界を生きているような街がいい。
誰ともかかわらずにひっそりと死ぬまで生きたい。

ギリギリを感じてさえいれば生きる実感が湧く
のかもしれないと。
そんな街を主人公の山田は選んだ。

そして彼を拾ってくれる人たちがいた。

北陸にある塩辛工場をあっせんしてもらい、
イカを捌く毎日をとりあえず手に入れた。

僕は僕を巻き込んで回っていた大きな歯車から
放り出されて少しほっとしていた

この気持ちに少し馴染んでいた。
少しじゃないかもしれない、人とのつながりが
密になると遠くに行きたくなる小さい頃の自分の
癖にこの小説の一行は、見知った世界のように
そこにあった。

何度かイカを山田が捌いているシーンが何度か
登場する。

手袋をしていてもぬめっとした感触が手に
伝わってくる。

それをひとつずつ内臓や頭や中骨、足などに
分けてゆくシーンを読みながら、わたしも体感
している気持ちになった。

鬱を患っていた時に、イカの内臓を捌いて、
エンペラなどを引き出す作業をしたことを
思い出していた。
あの頃できうる限りモノクロームの世界に
潜んでいたいと感じていた。

気持が動かないものを好んだから、生身の
ものを敬遠していた。

生き生きと生きているものには触れていたく
なかった。

でも台所で夕食を作るためにイカのはらわたと
格闘しているとき、うまくいえないけれど、
生きているものの感覚を指先や手の甲が如実に
味わっている気がしていて、心が動揺したこと
があった。

すぐに元気になったわけではないけれど。

生ものと格闘していると、指にふれるイカの
内側の感触は、わたしをすこし「生きる」の
方向へと誘ってくれていたのかもしれない。

この小説で山田がイカの塩辛工場に勤め始めた
ときにやらなければいけないその作業は、死の
ほうに近寄りたかった彼が「生きる」に近づい
たシーンとしてわたしの中で鮮明に焼き付いて
いた。

山田には、ご飯を上手に炊くことができるという
すばらしい特技があった。

ああ、なんていうことだろう。うまい。うまい米は
どうしてこんなにうまいんだろう。うますぎて、泣
けてくる。

こんな幸せなひとりごとを漏らすようなところ。
人間として根柢の幸せがここに描かれていた。

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