その六八六

 

 





 






 






 

待っている 交わらないまま 道の上にて

書いている時は誰しもひとりの
あたまで考えたり思ったりして
いるわけだけど。

小さい頃からじぶんひとりの
ノートに何かを綴ってきたから
ひとりというよりは、そこに書かれた
文字や話や詩のようなものが書いている
時は一緒にいてくれた気もする。

ひとりなのだけど。
どこかでひとりじゃないような。

そしていつからか、思うようになった
ことがある。

例えばこんなふうに。

今もSNSとかやらないで、ひっそり歌や詩を
ノートに書いて。
有名になりたいとかじゃなくて
自分の気持ちと折り合いつけるために
書いている人が何処かにいて。

淡々と描くとか書くということを
あたりまえの運命のように受け止めながら
それやるのがしんどいとか、誰にも聞かれて
いないのに辞めようとか。

そんなことを思う隙も与えないように
呼吸のように書く人。

そしていつかその人が亡くなった時に
膨大な紙のノートにはいくつもの傑作と
呼ばれる作品が書かれていて。
それを読んだ人はざわつく。
ざわつくだけじゃなくて、
どこかには怒り出す人もいる。
それは図星だったからだ。
それを目の当たりにした人は
図星だと言い当てられたあれこれに
ついて気が付くと考えているように
なっていて。

なんでそんな無名の人間に翻弄されるんだ
って、一瞬濃く腹が立つ。

嫉妬という名のものかもしれない。
そして。
もっと長生きしていたらその人はどんな
作品を残したんだろうと、みんなの頭が
勝手に夢想している。

書くということは、少し怖い。
発言するときに緊張感で恐ろしくなる。
だから書くことが好きだと思ったことはない。

わたしはまだ会ったことのない書き手に
嫉妬するくせに。
すごく会いたいのだと思う。

こんな人がこんな場所に埋もれていたんだ。
って思いたいことに焦がれてるのかもしれない。

どこかにまだどこのだれでもない
そんな密やかで素晴らしいまだ見ぬ
書き手がいるんだと思っていつも
書いているような気がする。

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