その六七二

 

 






 





 
辿




 

仰いでる 空の景色に 心映して

『晴れてる日って、せつないねぇと、さっき、
昼ご飯のスパゲッティミートソースを食べながら
彼は言ったのだ。』

<詩>の誘惑・井坂洋子著
休日のからだ〜谷川俊太郎よりP182

という文章に目が留まる。

ずいぶんと昔20代か30代の頃に読んでいたあの頃と
好きな言葉がおなじでちょっとびっくりした。

なにか向こうからやってくる感情に
たいしての処し方って変わって
ないんだなって思った。

私の予想ではそういう抒情みたいな
ものはちょっとめんどくさいもの
でもあるから更新されているとじぶんでは
思っていた。

でもちがっていた。

そしてこの本のページをめくりながら
詩のことを思った。

わたしは自分の感情が若い頃から
あまりわかっていないことがあって。

そういう時に詩を読んで、色々な
人たちの感情をまなんだ。

読むことで人はこういう時にこんな
気持ちになるのだなという、
たくさんのシーンに触れた。

感情をアウトプットするやり方が
わからなかったので、すこしずつ
哀しい時の感じ方や嬉しい時の
比喩を学習していったような気が
する。

わたしにとって詩は、人の感情の
カタログに似ている。

素手の気持ちが苦手だったのかも
しれない。

素のままの気持ちを外に出すと
大人たちが眉を顰めることを  
知っていたからかもしれない。

「晴れてる日って、せつないねぇ」
という感情にじぶんをあてはめた
晴れていたある日

ほんとうにせつないが追いかけて
きたことがあって。

空の上ではヘリコプターの音が狂おしく
響いていた。

わたしのなかで「晴れの日はせつない」
「悲しいほどお天気」みたいな気持ちが
定着していったことを思い出していた。

この感情はきっとわたしがじぶんで
手にした感覚なのかもしれない。

身体に沁みついたこの感じ方はきっと
ずっと忘れないんだろうなって思う。

秋になると悲しくなるのもきっと
井坂洋子さんの
言葉から学んだものなのかもしれない。

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