その六七六

 

 






 






 




 

言の葉が どこかでだれかに 舞い降りてゆく

父から携帯に電話がかかってきた。
この間友人と共著で作った絵本を送ったので
そのありがとうの電話だった。

ずっと昔に短歌集が出た時、父と娘は
ほとんど交戦状態で。
父に歌集がみつかってしまって、和歌山の
田舎の書店で買ってくれたのだけど。

わたしの書いた短歌にショックを受けて
父が悲しんでいるのがすごくわかった。

手紙をもらった。

短歌の中の主人公はわたしではなく
架空の人間だと思って欲しかったのだけど
父には到底そう思えなかったみたいで。

なんどもごめんねを言われて。
そのことでわたしは苦しかった。

リベンジというワードもでてくるその歌集は
主人公はわたしじゃないと言いながら。
そのなかのわたしは、適当にわたしでもあった。

あの頃、短歌という免罪符を手にしたわたしは、言葉を
盾にしながらリベンジをしていたのだと思う。

父がいくつかの短歌を引いて手紙をくれた。

・メランコリーがブランコ乗ってる焦げよ焦げよ
あの闇に届くまで
・黄昏は朝でもやってくる園児が唄うふぞろいの声
聞く時も
・ポケットに住むビスケッツやがてこっぱみじんに
なること知ってるさ

これらの歌たちが父の罪悪感を掘り起こしてしまった
みたいで。

ちいさいあなたを傷つけて申し訳なかった。
取り返しのつかない子供時代を過ごさせてしまった。
とくにビスケッツの歌は、ビスケッツを父はひとつの
家族だととらえていたみたいで。

それをばらばらにしてしまったのはパパのせいだと
そういう謝罪の手紙をもらった。

その時、わたしはその解釈に驚いたのだ。

あのビスケッツの歌は、実話で。
よそのお家に遊びに行った時その場で食べられない
わたしはすぐポケットに入れるくせがあって。

それを忘れていたわたしはポケットの中で
袋の中でこなごなになったその欠片をみつけて
ぽろぽろになった元ビスケッツをぽそぽそと
リビングで食べたりしていた。

たったそれだけだったのに、父の解釈に驚きながらも
そのことを違うよって言ったけど。

父はずっとそう信じているみたいだった。
そして父から謝罪の言葉をもらいすぎたおつりに
気づくかのように受け取った。

わかいってずるくて嫌だなって思う。

携帯で感想を語ってくれた。
書きたくて書いたものが、結果父の気持ちに
届いたみたいでうれしかった。
今は父の言葉がすっと胸に届いてくる感じが
ある。

☆2023年もお読みいただきありがとうございました。書くことが滞ってしまってすみません。来年もどうぞもりまりこのうたたね日記をよろしくお願いいたします。

 

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