その六九一

 

 






 






 

どこからが 何処までが君 はてしなく君

物語と小説は違うけれど。
それをAIが書く時代が来るのかもしれないと思うと
その物語は誰のものなんだろうって考えたりする。

応募原稿にだって採用されるかもしれない。
もっと短い短歌ぐらいなら作れそうだと思ってる。

もしかしたらその物語は、作者のものではなくて
読む人、読者だけのものになってゆくのかも
しれないと思いつつ。

AIは学習するという。
その学習の中にはかつての誰かの物語もたくさん
含まれているんだろうと思うと。

ますます物語は書き手のものでなくなっていく
ようなそんな気持ちになっている。

Q 寺山修司が今も生きているとしたら、どんな
小説を書くと思いますか?タイトルは決まってい
ます。書を捨てよ街を出よです。

って、chatGPTにいつか気が向いたら聞いてみよう。

今はまだいい、そんな気がしている。

追伸:

寺山修司って書を捨てよ街を出よって
わたしたち読者をそそのかしながら
わたしなんてたった一人のなかには
ないということを証明したかったの
かもしれない。
わたしたちは色々な誰かで出来あがって
いるのだから。

そう思えばchatGPTがこしらえた小説

だって誰かの物語たちで出来上がって
いるのだ。

同じことじゃないかと思ってみたりする。
それにしてもわたしってどこからどこまでが
わたしなんだろう。

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