その六九六

 

 






 






 





 

まあだだよ いま帰るよ  一瞬の子供

もういいよ、まぁだだよって近所の
学校帰りの子供たち。

出窓近くで仕事しているといつも彼らの
声を聴くのが楽しみになってる。

もういいよ、まぁだだよ。

声がどんどんちいさくなって、目隠しして
いる人はきっと不安になってるかもしれない。

これは小さい頃のじぶんの記憶かもしれ
ないけれど。

大人になってしまった今。

もういいよってじぶんは思っても、たぶん
大事なひとにはもういいよって思ってほしく
ない。

もういいよ、まぁだだよって。
よくよく考えてみると、いろんなものが
つまった、ことばだと思う。

もういいよって、ほんとうはなにがいいん
だろうって。

まぁだだよだって、なにがまだなのか。

子供がなにげなく遊んでいる時の昔からの
遊びの言葉って、すこしだけ遠くてこわい。

遠くにあるものは怖くないはずなのに。
色々なものが遠くに行ってしまうことが
無性にいやだったころ。
でもほのかに温かく感じるのはそこにはちゃんと
待ってくれている人がいるということの
証だと気づいたとき。

誰かのもういいよがあんまり遠くに聞こえ
すぎてどうしようかとおろおろしていた。

遠くの雷が近寄ってきたらこわいなっていうあれと
似ているのに、遠くで聞こえるといやなのだ。

かぎかっこの中に住んでいた、ことばたちが、
かぎかっこをはずして、何処かにゆきたくなるとき。

もういいよが、言葉を脱いでそこから離れる。

まぁだだよも、言葉であることをやめて、ふらっと
どこかへと、とびだしてみる。

子供たちは、すぐになんでも飽きるから。

わたしがつらつら思っていた間に

近所の子たちはもうその遊びはやめにして、
ふしぎなステップを踏んでふりつけごっこを
していた。

声とリズムが聞こえてきて。

あ、BTSかって思ってあのもういいよとまあ
だだよの世界から戻ってきたみたいで
ひとり勝手に安堵していた。

夕刻チャイムの鳴るころ、きまって誰かの子供
たちの声もつれてくる。

いっしゅんさびしいなにかが追いかけてくる
ような気がしてしまう。こんなさびしさも
エンタメのようにわたしは楽しんでいる。

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